1月31日は「愛妻の日」
まぁ、よくも上手い事当てはめたものね…と感心してしまうのだけれど。
ニュースやSNSで「愛妻の日」が取り上げられるのを見て、素直に「わーい!今日は愛妻の日なんだって!よろしくね、旦那様♪」と言えるのか、「ケッ!なにが愛妻の日よ!」と思うのか…
当然ながら、わたくし後者となっております。
愛妻って、特別扱いすること?
なんでって、
昨日、『3泊4日スノボツアー』から戻ってきた夫の、洗濯物が鬼のように放置されてるから。
スノボウェアって、表にも裏にも金属やプラスチックパーツが沢山ついてて、しかも手洗いマーク。
それでも縦型洗濯機なら手洗いコースで無理やり洗ってしまってもよかったと思うのだけれど。
ドラムはさすがと…
どっちみち洗濯機のほうはインナーやら靴下やら、そっちで占領されてしまうし。(しかも1回じゃ済まない量)
そんなわけで、朝からお風呂場でせっせとスノボウェアを手洗いしてきたところです。
水を吸ったウェアの重さよ…。(しかも陰干しって、ベランダに干せないじゃない…)
愛妻じゃなくて愛夫の日だろ、なんて思いながら「愛妻」はあるけどその逆って何…?
なんて思って「愛妻家 対義語」と検索したら、なるほどな、な回答がこぼれてました。
>>「愛妻家」という言葉はあるのに「愛夫家」という言葉はないですよね…(知恵袋)
「愛妻」はあって「愛夫」がない理由
男尊女卑の時代というか、「夫絶対君主制」「亭主関白」が当たり前だった時代があったからこそ、その逆をいく「愛妻」という言葉が生まれてクローズアップされて、
でも妻が夫に尽くすのは当たり前だったから、「愛夫」という言葉は生まれる必要がなかった…(そして現代でその逆をいく「旦那デスノート」が生まれたのね)
なんとも、な話。
夫よ、「愛夫」は当たり前だと思っているのに、「愛妻」は特別なことだと思っていない?
無償の愛って存在するの?
仕方なしに浴槽でスノボウェアをじゃぶじゃぶして、泡が流れていくのを眺めていると、
「愛され妻」でない私に、夫が「愛妻家」となれないのも致し方ないという気持ちもモコモコ。
だって私、夫に無償の愛を捧げられない。(そもそも恋愛感情を抱いたことすらない)
夫が3泊も遊びあるいていれば、「私が実家に3日帰省することも許さないくせに」と思ってしまう。
夫のスノボウェアを洗いながら、「私の労働時間を返してほしい」と思ってしまう。
見返りがないのに、夫のために尽くせない。
「これだけやってるのに」
「自分を犠牲にしてるのに」
↑
こんな感情を抱かないでいられる妻が、「愛妻家」を作る「愛され妻」なんだろうなぁ。
愛妻家の夫が欲しいわけじゃないけれど、
「ごめんー!洗濯大変だと思うけど、お願い!晩ごはんは昨日の残りでいいから!」
なんて夫が一言言ってくれたら、それだけで気分違うのに。
夫が昨日私に言った言葉は、
「洗濯物、どこに置いとけばいい?」
これだけ。
ランドリーラックに山のように積まれた洗濯物を見て、
「そっか、スノボ楽しんできてくれてよかった♪今日は洗濯物頑張っちゃうぞ♪」
なーんて、とてもじゃないけど思えないのです…。
「愛妻の日」なんて要りません。
ただ普通に、妻への扱いを見直してほしいだけ。
そして、あなたの妻は決して「愛夫家」ではないことに気付くべきね。